旅の記録

「發呆亭と涼亭」


台湾南の離島、蘭嶼(lanyu)の沿岸部を走っていると至る所に展望台のようなものを見かけます。

この展望台の名前は發呆亭(fadaitin)といいます。


高床式になっており、場所によって様々ですが約4畳から5畳ほどの広さがあり、利用者は手前の階段で靴を脱いで中で寝転んだり腰を下ろしたりして体を落ち着けます。發呆亭という意味は何も起こらない場所、ぼんやりとするところというようなものです。


發呆亭は誰でも使える公共のものから住民のプライベートなもの、果てには山羊のための發呆亭など様々なものがあります。

この發呆亭は蘭嶼特有のものではありません。しかし、蘭嶼ほど發呆亭の数や種類が多いところは少ないと思います。それほど發呆亭と蘭嶼の人々の生活は密接に繋がっています。


私はこの發呆亭が大好きで滞在した1週間の間、島のほとんどの發呆亭に登り、多くの時間を過ごしました。時には島でできた友達や現地の住民と寝転がったり雑談をすることもあったし、全く知らない人と時間を共にすることもありました。


ただ、ここで寝転びながら流れる雲を観ながらさざ波の音を聴いたり、夕陽が落ちていく様子や満点の星空を眺めている時間はかけがえのない贅沢なものでした。

人々が寛いで時間を過ごす何も起こらない場所。海辺に佇むその平和的象徴のような空間は一種の神聖性さえ含んでいるようにも思えます。


実は發呆亭には涼亭(liangtin)というもう一つの呼び名があります。蘭嶼の人々は涼亭と呼ぶことを好みます。涼亭とは文字通り涼む場所という意味です。


”涼亭では人々が寛ぐ他にも、人々が談笑したり、ご飯を一緒に食べたり、夜にお酒を飲んだり、決して何もしない場所ではないんだよ。だから私たちは涼亭と呼ぶんだ。”


なるほど、確かに島の人々の地域交流の場という役割も担っているように思えます。

ランチを涼亭で食べたり、夜に星を眺めているとお酒を勧められたことも私自身経験しました。そういった空間としても涼亭はとても居心地のいい場所でした。


發呆亭も涼亭も捉え方が呼び名に表れていて、そのニュアンスの違いが面白く、私としては何も起こらない場所という意味の發呆亭も、皆が涼みながら談笑している涼亭もどちらの言い方も好きでした。またあの場所で海を眺めながら生温いビールを飲みたいとふと思い出します。




「阿粕と牛肉麺」


ある日一つの部落(原住民の方が住む集落のこと)へ向かいました。


とりあえず着いたものの、特に店などはなく坂道沿いに家が並びます。小雨が降る中とりあえず坂を登ってみました。

壁には民族衣装や祭りの様子、狩りの様子を模した絵が描かれており、そこに唯一民族性を感じます。


村の中で1つ見つけたカフェに入ってみます。店主は村のこと、パイワン族のことについて教えてくれました。


この村にはパイワン族と少数のアミ族が住んでいるとのことです。

豊作を祝う祭りは7月の最終週に行われ、多数のパイワン族がこの村に集まります。祭りでは三角錐形に作られたブランコに女性が乗り、周りで住民が踊るそうです。

街のランドマークである教会とある作家の住宅は去年の火災で焼けてしまったとのことでした。(後で見に行くと教会は工事中で隣の住宅は完全に焼けてしまっていました)


近くにうまい牛肉麺(niuroumian)があるとのことでスクーターで送ってもらいます。すでに地域住民が酒を飲み始めていて、日本人だと告げると日本語で歓迎してくれました。

待っていると牛肉麺が運ばれてきました。酸味と辛味が合わさったような味ですが臭みもなくとても美味しいです。他のお客さんから酒を勧められて宴会に参加させてもらいました。


業者や客が行き来しますが、みな顔馴染みのようです。


お客さんの1人の男性は父親が日本語を話せるとのことで日本語で話しかけてくれました。お店の方はサービスだと阿粨(abai)という日本で言う粽のようなものを持ってきてくれます。

阿粨には餅米の中に煮込んだ魚や肉に辛味をつけたものが入っています。とても熱かったですがとても美味しく、最終的には台湾料理の中で1番好きになりました。

美味しいしか伝えられないのがもどかしいですが、完食するとまた持ってきてくれました。国を超えた部族といえど、日本での居酒屋のそれと暖かさは変わらないものがあります。


結局、ウイスキー三杯に阿粨、そしてお土産に阿粕とバンレイシを持たしてくれました。

着いた時の不安とは反対の気持ちで帰りのバスを待ちました。

※拉勞蘭小米工坊 Lalauran Millet Workshop

 縣太麻里郷香蘭村10鄰新香蘭21號

 Tel:089-782547




青青草原


午後5時40分、青々草原(qingqingcaoyuan)前の通りには露店と大量のスクーターが並びます。

露店で瓶ビールを買い、小高い丘の先を目指します。まだ人々は露店のお土産を冷やかしたり、路上ミュージシャンの演奏に耳を傾けていました。


海と草原の間をところどころにあるヤギのフンを気にしながら歩きます。サンダルの靴擦れが酷くスニーカーを履いてこればよかったと後悔しますが、海から気持ちいい風が吹いてきます。


丘の上にはすでに多くの人がいて、陽が沈むのを今か今かと待っていました。


近くにあった切り株に腰を下ろすと、眼下にはとても美しい光景が広がっていました。

辺り一面に広がる金色の芝生は風で揺らぎ、波は穏やかに光を反射しています。

人々の顔が夕陽によって赤く紅潮していきます。

そんな光景が陽が沈むにつれ何度も色を変えていきます。


だんだん辺りが暗くなってくると辺りからギターが聴こえてきました。

目を向けると数名が演奏者を囲むようにして座っていました。

その歌は台湾の有名な歌らしく、皆がギターに合わせて歌い出します。

その演奏に耳を傾けながら陽が沈みきるのを眺めます。


草原の色は金色から紫へと変化していき、空には星がぽつぽつと出始めました。

やがて演奏も終わり、集団は丘を下り帰っていきました。

その頃にはもう辺りには誰もおらず、真っ暗になっていました。


丘では風がビュービューと吹いています。

この草原でたった一人、満点の星空をずっと眺めることができました。





「コロナ禍の台湾」


マスク、マスク、マスク…

2月の台北ではすでにコロナに対しかなりの警戒がされていました。


建物内でのマスク着用はもちろんのこと、公共交通機関でのマスクの着用義務、体温検査も徹底しています。そして、もちろん37.5度以上の人は乗車を拒否されており、あの後彼らはどうしたのだろうと思いながら、自身の測定の際には緊張しながらおでこを差し出していました。


台湾内でのコロナへの警戒が1番高まったのは3月の後半でした。

その頃は自分が日本人だということが相手に伝わるのも憚られました。ただの思い込みだとは今になれば思いますがどうしても避けられているような気がしてしまいます。


1番困ったのはホテルの宿泊を拒否された時でした。

外国人という理由で何ヶ所かのホテルに泊まれませんでした。私が台湾に1ヶ月以上あることを伝えても現在外国人の宿泊は受け付けてないとの回答でした。

もちろん、各地域、各施設の自衛のための判断だとは思いますが、初めて人種として拒否された経験はショッキングなものでした。

そのため、友人に相談し泊まれるホテルを一緒に探してもらい、何軒目かでなんとか寝床を確保することができました。


しかしより強く感じたのは多くの人がとても暖かく迎えてくれたことでした。


”台湾はコロナの患者が少ないから安心して過ごせるよ”


台東(taidong)で過ごしたゲストハウスの方からはこのように言ってもらえました。

このゲストハウスでは長期間滞在させてもらいましたが、この時期に旅をしている外国人に対していつも配慮してくれていました。


コロナ禍に海外で過ごすことである意味とても貴重な経験を得ることができたと考えています。

この時期に感じたこと、考えたことは今なお私にとって大きな問いとして心に残っています。

※Ohana Sky Hostel

  台東県台東市樂利路2-2號

  mail:ohana0915@yahoo.com.tw





「聖なる唄声」


2回目の布農(bunun)部落の訪問でようやく部族の踊りを見ることができました。


その日は台湾での祝日だったようで多くの観光客が来ていたため、パフォーマンスをすることができたようでした。(30人以上の来客がないとパフォーマンスがないとのことでした)


初めてこの部落に訪れた際に村の中のカフェで聴いた音楽がとても綺麗で迫力があり、布農族の歌に興味を持ちました。

この曲について尋ねてみると、これは「八部合音」(babugeyin)と呼ばれる布農族の伝統的な音楽らしく、祭事以外にもこの部落で行われる観光客向けのパフォーマンスで実際に聞くことができるとのことでした。

ただ、その日は平日だったため来客も少なくパフォーマンスを見ることができませんでした。


という経緯もあり、パフォーマンスが見れることはとても幸運でした。


パフォーマンスは午前と午後の2回行われますが、午前の部が始まる際には多くの人が会場に集まっていました。

内容としては布農族の伝統音楽だけでなく、他の民族の歌や現代の音楽も交えて行われます。

どの民族の歌かは歌う際にその民族の伝統衣装に着替えるため気づくことができます。

この講演では阿里山の鄒族(tsou)の伝統音楽が演じられていました。


まず感じたことは彼らの歌声の圧倒的な迫力でした。

彼らは小さな子であれば4歳や5歳くらいの年齢ですでにステージに上がります。また日常生活でも誰かが歌い出せばそれに合わせて他の誰かが合わせて歌い出します。それほど彼らと音楽は密接な関係にあります。

そのような環境が彼らの高いパフォーマンスを作る要因ではないかと思います。


ステージが変わるとついに布農族の伝統衣装を着て彼らの伝統音楽「八部合音」が始まりました。

蜂の羽音を表現しているというこの歌はとても原始的な響きから始まります。それから徐々に声が重なっていき、とても重厚で迫力のある歌声が会場に響き渡ります。


幾重にも重なり合うその歌声は私にとってとても感動的なものでした。


午前の講演が終わった後も感動は冷めず、たまらず2回目の部を見にいきました。


その日の夜、一つの家庭に夕食を誘ってもらいました。

食卓には多くの地元の食材が並んでいます。それを10人ほどで囲って食事をとりました。

その家のおじいさんは日本語が話せたので、昔の台湾のことなどを教えてもらいました。


食事が終わると一人がギターを手に持ち自然と合唱が始まります。

食後の満たされた気持ちでその歌声に耳を傾けていました。


その日は彼らの歌声を一日中味わえたとても幸運な日となりました。

※布農部落

  台湾台東県延平郷桃源村11鄰191號

  Tel:089-561211


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